くわかぶ日記です🙇♂️
自分を振り返って自分を知る自分史のコーナーです
前回は大けがをして入院しそろそろ日常生活に戻る手前で話を終えたかと思います。
正直入院生活2か月はいろんな経験をさせていただきました。
一番大きかったのは同部屋となった大人たちとの交流でしたね。
学生生活の中では同年代や大学の先生方との交流くらいしかありませんでしたので。
社会人というのがどういうものなのか垣間見ることができたと思います。
看護師さんも一生懸命だったし、お医者さんとも仲良くなりました。
徐々にけがをした右足に体重を乗せるリハビリをしながら片方の松葉杖だけで歩けるようになったあたりで退院だったと記憶しています。
退院の日については特に記憶がありません。
退院してすぐ練習を開始しました。
足の中には鉄のプレート、ボルトが入っています。
でも、2か月以上のブランクがあって、3年のシーズンを控えて必死にチームの練習に食らいつきました。
怖がってられないと焦っていたのが悪かったのか、夏合宿を終えた私の右足の傷口が化膿しました。
白い液体がたまって腫れていました。
縫合してふさがった傷でしたが、まだ皮膚が弱かったようです。
合宿から戻って病院に行くと、練習中にバイ菌が入ったために化膿しているということでした。
診察台ですぐにオペが始まりました。
局所麻酔で縫合した傷にメスを入れて化膿した部分を消毒液で洗い流す・・・
鉄の大きなバケットに足を突っ込んだ状態で広げられた傷口をブラシを使ってごしごしです。
想像を絶する世界を見て衝撃を受けてしまいました。
一番困ったのは最後縫合する際に麻酔が切れ始めてしまったこと。
痛みがどんどん強くなってくるなかで針で縫うのはこれまた気絶寸前の時間。
帰りに車に乗り込んでからはしばらく放心状態でした。
その後も練習は休むことはなくなんとか3年生の秋のシーズンに突入しました。
いざ試合を始めると、相手チームはスカウティング(相手チームの試合のビデオを見ながら研究する)していて、私が春の試合で出場していなかったこと、怪我をしていたことを知っていて足元を狙いに来る。
こういうことをされると余計に燃える性分の私は余計に気合を入れてプレーをしました。
大きな活躍はありませんが、なんとかシーズンを乗り切りました。
さて、私にはプレー面とは別に大学の2年生から担当することになった北海道連盟の仕事(試合運営など裏方の仕事)がありました。
正直はめられたな、と思っていましたが、のちに大切な時間となります。
試合では選手が輝く時間の裏でたくさんの人たちが支えてくれているのだと気付くきっかけになったからです。
プロ選手や芸能人なんかは裏方で支える人がいなければ成り立たないのだろうなと思います。
試合会場は勝手に設営されません、片付けもそうです。
観客席の掃除もあります。
連盟内の大学同士のつなぎ役になったり、練習試合の組み合わせを仕切ったり、連盟の管理を行う大人たちや審判団とのかかわりもあります。
試合告知のためのパンフレットやチケットの作成、配布をスポーツ施設等にお願いしたり、広告枠を企業に売り込んだりと勉強になることが多かったです。
表舞台とその裏側を知ることができたことは大きな経験になりました。
また、ここで出会った色々な大学の先輩、同期、後輩は一生の宝物になりました。
特に同期とは今でも定期的にやりとりします。
なんでもやってみると経験になるものだなぁと思いました。
さて、3年まで我がチームの成績は私の1年生が3位、2年生は2位、3年生は2位という成績でした。
最終学年4年目はやっぱり優勝したい。
同期はタレントぞろいだったしきっと優勝できるはずだと信じて、プレー以外でもチームの役に立てることはできるだけやっていこうと意気込みました。
新入生の勧誘も、皆で力を合わせて今までにないものにしました。
プロモーションビデオを作ったり、新入生を集めた勧誘イベントも行いました。
すべて今思えば恥ずかしいような内容ですが普通に大学生をしていたら味わえない経験をさせてもらいました。
チームを強くするため、みんなの目標である優勝にたどり着くために毎日を過ごしました。
あ、勉強は大学3年生までに卒業単位を取り切りました。
この辺は容量がよかったようで、人に頼ってなんとかクリアしてしまう。
そのせいで法学部で勉強したはずなのに何も自分のためになったと思えないレベルだったことは言うまでもなく。
大学に勉強しに行ったというより部活をしに行ったといってもいいくらいの時間配分で4年生になってしまったわけです。
完全モラトリアム。
さて、ながくなりましたのでこの辺でいったん区切って次回また書いてみます。
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